2021年4月5日 A

🐶原告 控訴理由書

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令和3年(ネ)第1297号 損害賠償請求控訴事件
控訴人 (閲覧制限)
被控訴人 国

令和3年4月5日

控 訴 理 由 書

東京高等裁判所 御中

控訴人訴訟代理人弁護士 作 花 知 志 

目 次

第1 争点(1) (本件規定を改廃しなかったという立法不作為の国家賠償法上の違法性)について 3頁
第2 争点(2)(損害の発生及びその額) 135頁
第3 控訴人の主張の要旨 135頁
 
第1 争点(1) (本件規定を改廃しなかったという立法不作為の国家賠償法上の違法性)について 
1(1) 原判決は,以下のとおり判示した(22-25頁)。
「(1) 国家賠償法上の違法性について
国会議員の立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして,上記行動についての評価は原則として国民の政治判断に委ねられるべき事柄であって,仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても,それゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条項の適用上違法の評価を受けるものではない。
もっとも,法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては,国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして,例外的に,その立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである。(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁,最高裁[控訴人注:平成]27年12月16日大法廷・民集69巻8号2427頁)。
したがって,本件については,本件規定が憲法上保障され,又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるか否か,また,そうであるのに,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠っているといえる場合か否かを検討することになる。
(2) 憲法13条違反について
原告は,自らの子の成長と養育に関与することが親の人格的な生存にとって不可欠で,親権が親の人格的生存の根源に関わるものであり,また,旭川学テ事件判決が,子の養育について,最も基本的には親が子の自然的関係に基づいて子に対して行う養育・監護作用の一環であり,親が一定の決定権を有する旨を判示し,諸外国の憲法等においても親権,親が子の育成及び教育をする権利が自然権として保障されていることに照らすと,親権が人格権又は幸福追求権の一内容として憲法13条により保障されており,一方,未成年の子が父母の共同親権の下で養育される権利,成人するまで父母と同様に触れ合いながら精神的に成長する権利が,子の人格的生存にとって重要であるから,同条により保障されていると主張する。
原告が本件において問題とする「親権」は,民法819条2項の規定に基づき裁判所が親権者を定めることにより父又は母の一方に帰属することとなる「親権」,すなわち,民法上の「親権」であるから,以下,その点を踏まえつつ,また,具体的な法制度を離れて権利利益を抽象的に論ずることも相当ではないから,具体的な法制度である「親権制度」との関係で検討する。
ア 民法は,親権者において,子の監護及び教育をする権利(820条)を付与するほか,子の居所の指定(821条),子に対する懲戒(822条),子が職業を営むことの許可等(823条),子の財産の管理及び同財産に関する法律行為についての代表(824条)をする各権限を有するものとしているが,一方で,民法820条は,「親権を行う者は,子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負う。」と規定し,親権の中核をなすと考えられる子の監護及び教育をする権利が「子の利益」のために行使されなければならず,また,親権者の義務でもあることを明示している。また,民法においては,親権喪失の審判(834条),親権停止の審判(834条の2)又は管理権喪失の審判(835条)の各制度が設けられ,家庭裁判所による後見的な関与が定められているが,その要件として,「子の利益」を著しく害する,又は害するとされ,あるいは,協議上の離婚の際に父母の協議で離婚後の監護事項を定めるに当たっては,「子の利益」を最も優先して考慮しなければならない(766条1項)とされるなど,民法の定める親権制度が「子の利益」のためのものであることが明示されている。
このような親権についての各規定の在り方をみると,親権者たる親は,子について,当該子にとって何が適切な監護及び教育であるか,親権を行うに当たって考慮すべき「子の利益」が何かを判断するための第一次的な裁量権限及びそれに基づく決定権限を有するが,これらの権限は,子との間でのみ行使され,親とは別人格の子の自律的意思決定に対して一定の制約をもたらし得る形で行使されるものであるばかりか,その権限の行使に当たっては,「子の利益」のために行使しなければならないという制約があり,それが親自身の監護及び教育の義務にもなっている。そうすると,親権は,あくまでも子のための利他的な権限であり,その行使をするか否かについての自由がない特殊な地位であるといわざるを得ず,憲法が定める他の人権,とりわけいわゆる精神的自由権とは本質を異にするというべきである。また,親権を,その行使を受ける子の側から検討をしても,子は,親権の法的性質をどのように考えようとも,親による親権の行使に対する受け手の側にとどまらざるを得ず,憲法上はもちろん,民法上も,子が親に対し,具体的にいかなる権利を有するかも詳らかでないから,子において,原告が主張するような,父母の共同親権の下で養育される権利,ひいては成人するまで父母と同様に触れ合いながら精神的に成長をする権利を有するものとは解されず,親権の特殊性についての上記判断を左右するものではない。そうすると,このような特質を有する親権が,憲法13条で保障されていると解することは甚だ困難である。」
(2) ア このように原判決は,「このような親権についての各規定の在り方をみると,親権者たる親は,子について,当該子にとって何が適切な監護及び教育であるか,親権を行うに当たって考慮すべき「子の利益」が何かを判断するための第一次的な裁量権限及びそれに基づく決定権限を有するが,これらの権限は,子との間でのみ行使され,親とは別人格の子の自律的意思決定に対して一定の制約をもたらし得る形で行使されるものであるばかりか,その権限の行使に当たっては,「子の利益」のために行使しなければならないという制約があり,それが親自身の監護及び教育の義務にもなっている。親権は,あくまでも子のための利他的な権限であり,その行使をするか否かについての自由がない特殊な地位であるといわざるを得ず,憲法が定める他の人権,とりわけいわゆる精神的自由権とは本質を異にするというべきである。」と判示した。
しかしながら,原判決の判示内容は,親権が基本的人権であることを否定する理由にならない。
なぜならば,例えば選挙権の性質についてみても,それを選挙人としての地位に基づいて公務員の選挙に関与する「公務」とみるか,国政への参加を国民に保障する「権利」とみるかについて争いがあり,多数説は,両者をあわせもつと解している(二元説と呼ばれる)(芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法』(岩波書店,第七版,2019年)271頁(甲36))。選挙権は「国家への自由」としての性質を有する基本的人権であり,自らのために行使するのではなく,あるべき国家の構築のために行使される点において,親権と同様に,「利他的な権限であり,その行使をするか否かについての自由がない特殊な地位である。」と言える。さらに言えば,選挙権はその具体的内容が,憲法ではなく,国会の立法で定まる(憲法44条)という特殊な地位を有している。それは精神的自由権とは異なる点である。しかしながら,上で述べたとおり選挙権が基本的人権であることは争いがないところである。すると,親権が権利としての側面と共に、子に対する責務としての側面を有しているとしても,それにより親権が基本的人権であることを否定する理由とはならないことは明白である(最高裁大法廷平成17年9月14日判決は,公務としての性格と権利としての性格の両者をあわせもつと解されている選挙権について,国会(国会議員)の立法不作為責任を認めて,国に対する賠償命令を出しているのである。)。そして,親権の具体的内容が民法で定まる点も,やはり選挙権の具体的内容が,憲法ではなく国会の立法で定まるのと同様なのであるから,その点においても,親権が基本的人権であることを否定する理由にならないことは明白である。
ちなみに,被控訴人が引用する乙3号証210頁では,「親権は権利か」というテーマについて,「子に対する親の権利というより,親の社会的責務とでもいうべきものである」との説明がされた後で,同記載に続く説明として,「親権は権利だけでなく義務を伴う,などと言われるが,そもそも財産法的な権利・義務では捉えきれないということを認識しておく必要があろう。」と記載されている。そこで「捉えきれない」と書かれているように,乙3号証における著者の説明の趣旨は,親権には純粋な「権利・義務」としての性質に,さらに異なる性質の側面が加わっている(付加されている),という意味であることが分かるのである。それは,親権が「権利」としての性質を有することを認める記載であることは明白である。乙3号証の記載内容は,親権が基本的人権であることの根拠となるものである。
イ この点につき,原判決25頁が,以下のとおり判示したことも,親権が基本的人権であることの根拠となるものである。
「イ また,親である父又は母と子とは,三者の関係が良好でないなどといった状況にない限り,一般に,子にとっては,親からの養育を受け,親との間で密接な人的関係を構築しつつ,これを基礎として人格形成及び人格発達を図り,健全な成長を遂げていき,親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。そうすると,親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有するものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。
しかし,これらの人格的な利益と親権との関係についてみると,これらの人格的な利益は,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり,その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの,親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。」
このように,原判決は,「親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有するものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」と判示した上で,離婚後に単独親権とされた場合であっても,「親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。」と判示した。
しかしながら,原判決が判示した「親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。そうすると,親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有するものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」「子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」という関係は,決して人格的な利益としての養育関係だけにとどまるものではなく,基本的人権としての親権そのものについても当てはまることである。
なぜならば,親が子に対して基本的人権としての親権を行使することは,単なる養育関係を越えて,親子関係に関する法律上の決定を行い,その法律上の効果を生む点において,より重要な効果を親と子に与えるからである。さらに言えば,単なる親が子を養育する関係と比較すると,親による親権の行使を通して,親と子は互いに,より精神的に緊密な関係へと昇華されるからである。
親が子に対して基本的人権としての親権を行使する場面を考慮すると,例えば親が親権者として子と将来の夢を語り合い,進学先の希望を話し合いながら,子が入学する学校を選び,その学校との入学契約を締結することは,「親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。」という個人の人格的利益としての側面を越える,基本的人権である人格権や幸福追求権を,親権を行使する親に享受させることは明白である。
その意味で,原判決が判示した「子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」という関係は,決して人格的な利益としての養育関係だけにとどまるものではなく,基本的人権としての親権(人格権や幸福追求権としての親権)そのものについても当てはまるものであり,その原判決の判示は,親権が基本的人権であることの根拠ともなるものである。
憲法13条は,基本的人権としての人格権や幸福追求権を保障している。原判決において,親子の養育関係が親と子のそれぞれにとっての人格的利益であり,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない,とされていることに照らすと,親権は単なる養育関係を越えて,より一層,親子の人格的関係に密接に関係し,その行使を通して親と子のそれぞれが人格を発達させ,幸福を追求する権利なのであるから,親権が憲法13条が保障する人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権であることは明白である。
さらに言えば,上で述べたように,選挙権が基本的人権であることは今日では争いがないところ,選挙権が投票を行うことにより完結する一方的な権利であるのに対して,親による親権の行使を通して,親と子は互いに,より精神的に緊密な関係へと昇華される点で,人格権の行使としての人格の発達と幸福追求権の行使としての幸福追求が親と子の間の相互的な関係で行われ,親と子のそれぞれが基本的人権を享受するという特徴を有すると言える。その意味において,親権は選挙権よりも,より人としての尊厳性に直結する基本的人権であると言える。
その点においても,親権が憲法13条が保障する人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権であることは明白である。原判決が親権を基本的人権ではないと判示した点に合理性がないことは明白である。
ウ 続いて原判決は,「また,親権を,その行使を受ける子の側から検討をしても,子は,親権の法的性質をどのように考えようとも,親による親権の行使に対する受け手の側にとどまらざるを得ず,憲法上はもちろん,民法上も,子が親に対し,具体的にいかなる権利を有するかも詳らかでないから,子において,原告が主張するような,父母の共同親権の下で養育される権利,ひいては成人するまで父母と同様に触れ合いながら精神的に成長をする権利を有するものとは解されず,親権の特殊性についての上記判断を左右するものではない。」と判示した。
しかしながら,子の側から見ても,やはり原判決が判示した「子にとっては,親からの養育を受け,親との間で密接な人的関係を構築しつつ,これを基礎として人格形成及び人格発達を図り,健全な成長を遂げていき,」「子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」という関係は,決して親と子の人格的な利益としての養育関係だけにとどまるものではなく,基本的人権としての親権そのものについても当てはまることである。
なぜならば,親が子に対して基本的人権としての親権を行使することは,単なる養育関係を越えて,親子関係に関する法律上の決定を行い,その法律上の効果を生む点において,より重要な効果を親と子に与えるからである。さらに言えば,単なる親が子を養育する関係と比較すると,親による親権の行使を通して,親と子は互いに,より精神的に緊密な関係へと昇華されるからである。
親が子に対して基本的人権としての親権を行使する場面を考慮すると,例えば親が親権者として子と将来の夢を語り合い,進学先の希望を話し合いながら,子が入学する学校を選び,その学校との入学契約を締結することは,「親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。」という個人の人格的利益としての側面を越える,基本的人権である人格権や幸福追求権を,親権の行使を受ける子に享受させることは明白である。
その意味で,原判決が判示した「子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。」という関係は,決して人格的な利益としての養育関係だけにとどまるものではなく,基本的人権としての親権(人格権や幸福追求権としての親権)そのものについても当てはまるものであり,その原判決の判示は,親権が基本的人権であることの根拠ともなるものである。
憲法13条は,基本的人権としての人格権や幸福追求権を保障している。原判決において,親子の養育関係が親と子のそれぞれにとっての人格的利益であり,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない,とされていることに照らすと,親権は単なる養育関係を越えて,より一層,親子の人格的関係に密接に関係し,その行使を通して親と子のそれぞれが人格を発達させ,幸福を追求する権利なのであるから,親権が憲法13条が保障する人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権であることは明白である。
さらに言えば,上で述べたように,選挙権が基本的人権であることは今日では争いがないところ,選挙権が投票を行うことにより完結する一方的な権利であるのに対して,親による親権の行使を通して,親と子は互いに,より精神的に緊密な関係へと昇華される点で,人格権の行使としての人格の発達と幸福追求権の行使としての幸福追求が親と子の間の相互的な関係で行われ,親と子のそれぞれが基本的人権を享受するという特徴を有すると言える。その意味において,親権は選挙権よりも,より人としての尊厳性に直結する基本的人権であると言える。
その点においても,親権が憲法13条が保障する人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権であることは明白であり,原判決が親権を基本的人権ではないと判示した点に合理性がないことは明白である。
なお原判決は,「また,親権を,その行使を受ける子の側から検討をしても,子は,親権の法的性質をどのように考えようとも,親による親権の行使に対する受け手の側にとどまらざるを得ず,憲法上はもちろん,民法上も,子が親に対し,具体的にいかなる権利を有するかも詳らかでないから,子において,原告が主張するような,父母の共同親権の下で養育される権利,ひいては成人するまで父母と同様に触れ合いながら精神的に成長をする権利を有するものとは解されず,親権の特殊性についての上記判断を左右するものではない。」と判示した。しかしながら,親権者である親による親権の行使によって子が基本的人権である人格権や幸福追求権を享受する以上,原判決が判示したように,「憲法上はもちろん,民法上も,子が親に対し,具体的にいかなる権利を有するかも詳らかでない」と言えないことは明白である。選挙権はその具体的内容が,憲法ではなく,国会の立法で定まるけれども(憲法44条),選挙権が基本的人権であることに争いがないように,親権者である親による親権の行使によって子が基本的人権である人格権や幸福追求権を享受することが明白である以上,その具体的内容が民法で定まることは,何ら親権が子にとっての基本的人権であることを否定する理由にはならないことは明白である。
エ この点において,『新版注釈民法(25)』(有斐閣,改訂版,2004年)(甲23)には,以下の記載が明記されている。その内容からすると,親の子に対する親権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。
なお,以下の②において,「親が親権者としてその子に対し有する監護教育権は,民法などによって創設されるものとしてよりも前国家的・始原的な自然権に由来するものと見てよく(教育権につき,田中耕太郎・教育基本法の理論[昭36]154),民法は私法上の立場においてこの権利を宣言しているものと見てよいであろう。」と記載されていることは,上で控訴人が主張した「選挙権はその具体的内容が,憲法ではなく,国会の立法で定まるけれども(憲法44条),選挙権が基本的人権であることに争いがないように,親権者である親による親権の行使によって子が基本的人権である人格権や幸福追求権を享受することが明白である以上,その具体的内容が民法で定まることは,何ら親権が子にとっての基本的人権であることを否定する理由にはならないことは明白である。」の内容の根拠となることである。
『新版注釈民法(25)』(有斐閣,改訂版,2004年)(甲23)
①69頁の「820条 Ⅲ 監護教育の程度方法(1)」の箇所
「ただ,親権者の監護教育権は,子供の監護教育を受ける基本的人権に対応しつつ,親が子に対して有する前国家的・始原的な自然権であると見られるけれども(→Ⅴ)」
②76頁の「820条 Ⅴ 監護教育権の性質(1)(ア)」の箇所
「ドイツ連邦共和国基本法6条2項は「子供の育成および教育は,両親の自然の権利であり,かつ,何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては,国家共同社会がこれを監視する」と規定しているが,親が親権者としてその子に対し有する監護教育権は,民法などによって創設されるものとしてよりも前国家的・始原的な自然権に由来するものと見てよく(教育権につき,田中耕太郎・教育基本法の理論[昭36]154),民法は私法上の立場においてこの権利を宣言しているものと見てよいであろう。」
オ これらの点において,子の側からしても,親権が基本的人権であることは明白なである。その点においても,原判決が親権を基本的人権ではないと判示した点に合理性がないことは明白である。
2(1) 原判決は,以下のとおり判示した(25-26頁)。
「イ また,親である父又は母と子とは,三者の関係が良好でないなどといった状況にない限り,一般に,子にとっては,親からの養育を受け,親との間で密接な人的関係を構築しつつ,これを基礎として人格形成及び人格発達を図り,健全な成長を遂げていき,親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。そうすると,親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有するものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。
しかし,これらの人格的な利益と親権との関係についてみると,これらの人格的な利益は,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり,その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの,親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。慮るに,当該人格的な利益が損なわれる事態が生じるのは,離婚に伴って父又は母の一方が親権者に指定されることによるのではなく,むしろ,父と母との間,又は父若しくは母と子の間に共に養育をする,又は養育を受けるだけの良好な人間関係が維持されなくなることにより生じるものではないかと考えられる。
そうすると,親及び子が,親による子の養育についてそれぞれ上記の人格的な利益を有し,親権の帰属及び行使がそれに関連しているからといって,親権が憲法13条で保障されていると解することが甚だ困難であるという前記アの判断を左右するものではない。
なお,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,親及び子がそれぞれ有する上記の人格的な利益に対する一定の範囲での制約については,当該人格的な利益が,憲法が予定する家族の根幹に関わる人格的な利益であると解されるから,我が国の憲法上の解釈としては,後述するとおり,憲法24条2項の「婚姻及び家族に関するその他の事項」に当たる,親権制度に関する具体的な法制度を構築する際に考慮されるべき要素の一つとなり,国会に与えられた裁量権の限界を画すものと位置づけられるのが相当である。」
(2) この原判決の判示内容が,控訴人の主張である「親の子に対する親権が憲法13条で保障される人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権である」ことの根拠になる内容であることは,上で述べたとおりである。
なお,この原判決における「なお,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,親及び子がそれぞれ有する上記の人格的な利益に対する一定の範囲での制約については,当該人格的な利益が,憲法が予定する家族の根幹に関わる人格的な利益であると解されるから,我が国の憲法上の解釈としては,後述するとおり,憲法24条2項の「婚姻及び家族に関するその他の事項」に当たる,親権制度に関する具体的な法制度を構築する際に考慮されるべき要素の一つとなり,国会に与えられた裁量権の限界を画すものと位置づけられるのが相当である。」という,親権について憲法24条2項の保障が及ぶことを認めた点については,正当なものである。控訴人は,この判示部分を引用して,後に憲法24条2項についての主張を行うものである。
3(1) 原判決は,以下のとおり判示した(26-27頁)。
「ウ 原告は,親権が憲法13条で保障されていることを基礎付ける根拠として,旭川学テ事件判決並びに諸外国の法制度及び裁判例を指摘する。しかし,旭川学テ事件判決は,子の教育について国家の干渉を制限する観点から,親に一定の決定権能がある旨を判示したもので,それを越え,親権が憲法13条により保障された権利であるという判断をしたものではなく,その趣旨を含むものとも解されない。また,諸外国の法制度及び裁判例の状況は,前記1の認定事実(以下「認定事実」という。)(1)のとおりであるが,このような状況は,親権制度の在り方に関する議論の上で参考にされるべき事情とはなり得るにせよ,我が国の憲法の解釈に直ちに影響を及ぼす事情であるとはいえず,前記ア及びイの判断を左右するものではない。
エ 以上で説示したところによれば,本件規定が憲法13条に違反することが明白ということはできない。」
(2) ア まず原判決は,「原告は,親権が憲法13条で保障されていることを基礎付ける根拠として,旭川学テ事件判決並びに諸外国の法制度及び裁判例を指摘する。しかし,旭川学テ事件判決は,子の教育について国家の干渉を制限する観点から,親に一定の決定権能がある旨を判示したもので,それを越え,親権が憲法13条により保障された権利であるという判断をしたものではなく,その趣旨を含むものとも解されない。」と判示した。
しかしながら,旭川学テ事件判決は,親の子に対する親権が,自然権であり,基本的人権であることを認めたものである。
旭川学力テ事件判決における,親の子に対する教育権が基本的人権であることを認めた判示部分を以下で引用する。
「1 子どもの教育と教育権能の帰属の問題
(一)子どもの教育は,子どもが将来一人前の大人となり,共同社会の一員としてその中で生活し,自己の人格を完成,実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり,それはまた,共同社会の存続と発展のためにも欠くことができないものである。この子どもの教育は,その最も始原的かつ基本的な形態としては,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるのであるが,しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもってしては,近代社会における経済的,技術的,文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで,子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり,子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り,現代国家においては,子どもの教育は,主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になっている。」
「そして,この観点に立って考えるときは,まず親は,子どもに対する自然的関係により,子どもの将来に対して最も深い関心をもち,かつ,配慮をすべき立場にある者として,子どもの教育に対する一定の支配権,すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが,このような親の教育の自由は,主として家庭教育等学校以外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし,」
このように,旭川学力テスト判決は,以下のように判示しているのである。
「この子どもの教育は,その最も始原的かつ基本的な形態としては,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるのである」
「まず親は,子どもに対する自然的関係により,子どもの将来に対して最も深い関心をもち,かつ,配慮をすべき立場にある者として,子どもの教育に対する一定の支配権,すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが,このような親の教育の自由は,主として家庭教育等学校以外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし,」
これらの判示からも明白なように,旭川学力テ事件判決は,同訴訟の主たる争点であった学校教育についての評価を行う前に,①親が子に対して教育を行う権利は,その最も始原的かつ基本的な形態として,親が子との自然的関係に基づいて,子に対して行う養育,監護の作用の一環として現れること,そして,②親は,子に対する自然的関係により,子どもの将来に対して最も深い関心をもち,かつ,配慮をすべき立場にある者として,子どもの教育に対する一定の支配権,すなわち子女の教育の自由を有すること,そのような親の教育の自由は,主として家庭教育などの学校以外における教育や学校選択の自由にあらわれることを認めているのである。
すると,旭川学力テ事件判決が,「親の学校選択の自由」を「自然権としての教育の自由に含まれる」と判示していることからすると,親の子に対する親権が自然権であり基本的人権であることを認めたことは明白である。なぜならば,「学校選択の自由」は,まさに親による親権の行使だからである。それは,旭川学テ事件判決が,親の子に対する親権が自然権であり基本的人権であることを認めたことを意味している。
付言すると,大森貴弘「翻訳:ドイツ連邦憲法裁判所の離婚後単独親権違憲判決」常葉大学教育学部紀要<報告>425頁(甲7)においても,「諸外国に目を転じると,ドイツでは子を育成する親の権利は自然権とされ,憲法でも明文化されており,アメリカでは平等原則と適正手続により親の権利が人権として認められている。日本国憲法には親の権利についての明文の規定はないが,親子の自然的関係を論じた最高裁判決(旭川学テ判決)が存在していることや人権の普遍性等を根拠として,憲法上認められうると解される。」と指摘されており,その指摘を踏まえると,日本法においても,「子を育成する親の権利」である親の子に対する親権は,憲法が保障する自然権であり基本的人権であることは明らかである。
そもそも,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権は,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるものであり,人権の普遍性等に基づく存在である。そして親の子に対する親権は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権や幸福追求権の一内容を構成する権利として尊重されるべきであることは明白である。その意味において,旭川学力テ事件判決は,親権が憲法13条で保障される人格権や幸福追求権の一内容である基本的人権として保障されていると解釈する立場であることは明白である。
イ また,原判決は,「また,諸外国の法制度及び裁判例の状況は,前記1の認定事実(以下「認定事実」という。)(1)のとおりであるが,このような状況は,親権制度の在り方に関する議論の上で参考にされるべき事情とはなり得るにせよ,我が国の憲法の解釈に直ちに影響を及ぼす事情であるとはいえず,前記ア及びイの判断を左右するものではない。」と判示した。
しかしながら,この判示が最高裁判所大法廷平成27年(2015年)12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟)に反する内容であることは明白である。同最高裁判決は,女性の再婚禁止期間の旧規定の内,100日を超える部分を違憲とした理由に外国法を引用した上で,次のように判示しているからである。それは,諸外国の法制度及び裁判例の状況が,日本国憲法の解釈に意味を与える立法事実であることを示している。その意味において,諸外国の法制度及び裁判例の状況が,我が国の憲法の解釈に直ちに影響を及ぼす事情であることは明白である。
「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。それぞれの国において婚姻の解消や父子関係の確定等に係る制度が異なるものである以上,その一部である再婚禁止期間に係る諸外国の立法の動向は,我が国における再婚禁止期間の制度の評価に直ちに影響を及ぼすものとはいえないが,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっていることを示す事情の一つとなり得るものである。」
(3) 控訴人が原審で主張及び立証を行った以下の諸点からも,親権が基本的人権であることは明白である。以下で再度引用を行う。
ア ドイツ民法では,かつては日本と同様に裁判離婚後は単独親権制度が採用されていたものの,1982年に連邦憲法裁判所において,離婚後の例外なき単独親権を定めたドイツ民法1671条4項1文の規定が,親の権利を定めたドイツ基本法6条2項1文の権利を侵害するとの判決が出された。同判決後,ドイツでは離婚後の例外なき単独親権は違憲となり,個別事例での対応が続いていたが,1998年に親子法改正法(1997年制定)が施行され,離婚後共同親権(共同配慮権)が法制化された(大森貴弘「翻訳:ドイツ連邦憲法裁判所の離婚後単独親権違憲判決」常葉大学教育学部紀要<報告>第38号2017年12月409-425頁(甲7。訳者解説は甲7号証の425頁。))。
ドイツ民法は,日本民法の母法であり,それについてのドイツ連邦裁判所の違憲判決とその後のドイツ民法の改正は,日本国憲法の解釈に影響を与える立法事実である(上でも引用した最高裁大法廷平成27年12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟))。
イ 東京高等裁判所昭和30年9月6日決定は,「<要旨>元来親権は,血縁関係(養親子にあつては血縁関係が擬制されている)に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係を社会規範として承認し,これを法律関係として保護することを本質とするものである。」と判示している。
この判示内容からすると,親の子に対する親権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。
ウ 静岡地裁浜松支部平成11年12月21日判決は,「かくて,子との面接交渉権は,親子という身分関係から当然に発生する自然権である親権に基き,これが停止された場合に,監護に関連する権利として構成されるものといえるのであって,親としての情愛を基礎とし,子の福祉のために認められるべきものである。」と判示している。
この判示内容からすると,親の子に対する親権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。
エ 仙台地裁令和元年5月28日判決において,以下の判示がされている。
「人が幸福を追求しようとする権利の重みは,たとえその者が心身にいかなる障がいを背負う場合であっても何ら変わるものではない。子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」
「そして,憲法13条は,国民一人ひとりが幸福を追求し,その生きがいが最大限尊重されることによって,それぞれが人格的に生存できることを保障しているところ,前記のとおり,リプロダクティブ権は,子を産み育てることを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,憲法上保障される個人の基本的権利である。それにもかかわらず,旧優生保護法に基づく不妊手術は,不良な子孫の出生を防止するなどという不合理な理由により,子を望む者にとっての幸福を一方的に奪うものである。本件優生手術を受けた者は,もはやその幸福を追求する可能性を奪われて生きがいを失い,一生涯にわたり救いなく心身ともに苦痛を被り続けるのであるから,その権利侵害の程度は,極めて甚大である。そうすると,リプロダクティブ権を侵害された者については,憲法13条の法意に照らし,その侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を確保する必要性が極めて高いものと認められる。」
このように,仙台地裁令和元年5月28日判決は,「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」と判示している。その判示からすると,子を産み育てること,さらには子の成長と養育に関わることである親の子に対する親権は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得る人格的生存の根源に関わるものであり,幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきであることは明白である。その意味において,親の子に対する親権は,憲法13条で保障される人格権や幸福追求権の一内容として保障されていると解釈するべきことは明白である。
オ 大阪地裁令和2年11月30日判決は,「子を産むか否かは,人としての生き方の根幹に関わる意思決定であるから,子を産み育てるか否かを自らの自由な意思によって決定することは,幸福追求権又は自己決定権として憲法13条によって保障されるとともに,性と生殖に関する自然権的な権利であるリプロダクティブ・ライツとして憲法13条,24条によって保障される。」と判示している。その判示からすると,子を産み育てること,さらには子の成長と養育に関わることである親の子に対する親権は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得る人格的生存の根源に関わるものであり,幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきであることは明白である。その意味において,親の子に対する親権は,憲法13条で保障される人格権や幸福追求権の一内容として保障されていると解釈するべきことは明白である。
カ 文部科学省のHPでは,教育基本法第4条(第4条(義務教育)第1条「国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」第2条「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。」)の「義務を負う」の解説において,「親には,憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが,この義務教育は,国家的必要性とともに,このような親の教育権を補完し,また制限するものとして存在している。」と解説されている(甲22)。
そこで「親には,憲法以前の自然権としての親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられている」と指摘されていることは,日本法においても,親の未成年者子に対する親権は,憲法が保障する基本的人権であることを被控訴人(国)自身が認めていることを意味している(子が通う学校の選択は,親の子に対する親権の行使であるが,それが自然権としての親の教育権(教育の自由)の発現であることは明白である。)。
(4) なお,離婚後単独親権制度を採用する民法819条2項(本件規定)は,離婚後に子に対する親権を失った親が,離婚後に単独親権者となった親の親権の行使に従い,例えば子の進学する学校の学費を扶養義務として負担することを義務付ける制度である。自らが選び,正せない事柄を理由に不利益を及ぼすことは憲法14条1項や憲法24条2項に違反して許されない(最高裁大法廷平成25年9月4日決定,最高裁大法廷平成27年12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟))。そしてその最高裁判例の趣旨は,合理的な理由なく基本的人権を制限することを禁止した憲法13条の解釈にも当てはまるものである。すると,離婚後単独親権制度を採用する民法819条2項(本件規定)は,憲法29条が財産権を保障しているにも拘わらず,離婚後に親権を失った親が,離婚後に単独親権者となった親の親権の行使に従い,子についての費用を扶養義務として負担することを義務付ける制度である点において,離婚に際して子に対する親権を失った非親権者である親の基本的人権を合理的な理由なく制限するものであり,憲法13条に違反することは明白である。
(5) また,民法の家族法制の見直しを議論していた有識者らの研究会は,令和3年2月にまとめた報告書において,「親権」を別の用語に置き換えるように提案を行った。親権は,字面から親の権利ばかりをイメージしがちだが,子には養育を受ける権利があり,本質は親が子に対して果たすべき努めのことだから,という理由である(甲55)。研究会では「親権」に置き換えられる用語として「責務」などが上げられた。
とすると,両親から親権を受ける立場の子からすると,「子には養育を受ける権利がある」のであるから,夫婦関係の解消にすぎない離婚に際して,「子に養育を行う」立場にある2人の親権者を一律的に全面的に1人にしてしまうという不利益を子の同意なしに行う現在の民法819条2項(本件規定)は,やはり,自らが選び,正せない事柄を理由に不利益を及ぼす点において憲法14条1項や憲法24条2項に違反して許されないことは明白である(最高裁大法廷平成25年9月4日決定,最高裁大法廷平成27年12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟))。そしてその最高裁判例の趣旨は,合理的な理由なく基本的人権を制限することを禁止した憲法13条の解釈にも当てはまるものである。
すると,離婚後単独親権制度を採用する民法819条2項(本件規定)は,子が自らが選び正せない両親の離婚という事柄を理由に,子が養育を受ける権利を持つ2人から1人に減してしまうという不利益を与える点において,憲法13条に違反することは明白である。
(6) ちなみに,スウェーデンの親子法では,子どもの最善の利益は,2人の親によって等しくケアを受ける子どもの権利として解釈されている(甲56)。
そして,外国法の内容は,日本国憲法の解釈に影響を与える立法事実として存在している(最高裁大法廷平成27年12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟))。
すると,スウェーデンの親子法では,子どもの最善の利益は,2人の親によって等しくケアを受ける子どもの権利として解釈されていることは(甲56),当然に日本国憲法の解釈に影響を与える存在なのであるから,原判決が「民法の定める親権制度が「子の利益」のためのものであることが明示されている。」と判示したにも拘わらず(24頁),親の離婚後は離婚後単独親権制度が採用され,2人の親によるケアを否定している819条2項(本件規定)の合理性を肯定したことは明白な矛盾である。
離婚後単独親権制度を採用する民法819条2項(本件規定)は,子が自らが選び正せない両親の離婚という事柄を理由に,子が養育を受ける権利を持つ2人から1人に減してしまうという不利益を与える点において,憲法13条に違反することは明白である。
(7) 以上からすると,親権が,親子という関係から当然に発生する自然権であり基本的人権であることは明白である。
そもそも,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権は,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるものであり,人権の普遍性等に基づく存在である。そして親の子に対する親権は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権や幸福追求権の一内容を構成する権利として尊重されるべきであることは明白である。
そして,憲法13条は基本的人権としての人格権や幸福追求権を保障している。原判決において,親子の養育関係が親と子のそれぞれにとっての人格的利益であり,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない,とされていることに照らすと(原判決25頁,原判決31頁),親権は単なる養育関係を越えて,より一層,親子の人格的関係に密接に関係し,その行使を通して親と子のそれぞれが人格を発達させ,幸福を追求する権利なのであるから,親権が憲法13条が保障する人格権や幸福追求権に含まれる基本的人権であることは明白である。
すると,基本的人権は合理的な理由なくしては制限されてはならない性質を有する権利なのであるから,自然権であり基本的人権である親の子に対する親権を制限できるのは,親から子に対する暴力行為があるなどの,合理的な理由がある場合に限定されることになる。
そして,離婚はあくまでも夫婦関係を清算させる制度であり,親子関係を終了させる制度ではないのであるから,それが自然権であり基本的人権である親の子に対する親権を制限できる理由に該当しないことは明白である。民法819条2項(本件規定)は,離婚があくまでも夫婦関係の解消であり,親子関係の解消ではないにも拘わらず,一律に,夫婦の離婚に伴い,一方親から親権を全面的に奪う規定なのであるから,そこには立法目的と手段との間に,論理的関係自体が認められないことは明白である。さらに,そこには立法目的と手段との間に,実質的関連性も認められないことは明白である。その意味で民法819条2項(本件規定)は,必要以上の制限を基本的人権である親の子に対する親権に与えた規定であり,憲法13条に違反していることは明白である。
さらに言えば,仮に親から子に対する暴力行為があるなどの,一方親の親権を失わせる必要性がある場合が存在しているとしても,民法には,親権喪失の審判制度(民法834条),親権停止の審判制度(民法834条の2),管理権喪失の審判制度(民法835条)が設けられているのであるから,離婚に際して親の子に対する親権を失わせなくても,親の子に対する親権を制限する合理的な理由がある場合には,それらの民法上の制度を用いることで対応が可能である。そのことは,平成23年の民法改正で親権停止の審判制度(民法834条の2)が導入されたことで明白となった。すると,民法819条2項(本件規定)は,それらの民法に規定された方法を用いるという,親の子に対する親権を制限するより制限的でない方法が存在しているにも拘わらず,一律に,夫婦の離婚に伴い,一方親から親権を全面的に奪う規定なのであるから,そこには立法目的と手段との間に,実質的関連性が認められないことは明白である。その意味で民法819条2項(本件規定)は,必要以上の制限を基本的人権である親の子に対する親権に与えた規定であり,憲法13条に違反していることは明白である。
この点について原判決は,憲法14条1項違反及び憲法24条2項違反の箇所において,「立法目的が前提とした元夫婦像にそのまま当てはまらない元夫婦も実際には相当数存在し得ると考えられるから,離婚をする夫婦にいわゆる共同親権を選択することができることとすることが立法政策としてあり得るところと解され,認定事実(2)のとおり,それを含めた検討が始められている様子もうかがわれる。」と判示した(32頁)。また,「離婚後の父母が,情報伝達手段を用いて頻繁に連絡を取り,子の利益のために相談をし,適切な決定をすることができるような協力関係にないことも想定され,他方の同意が得られないことにより子の監護及び教育に関する重大事項の決定を適時に適切に行うことができない事態が生じ得ることは否定できない。」と判示して(33頁),逆を言えば,「離婚後の父母が,情報伝達手段を用いて頻繁に連絡を取り,子の利益のために相談をし,適切な決定をすることができるような協力関係にあることも想定され,そのような場合には,他方の同意が得られないことにより子の監護及び教育に関する重大事項の決定を適時に適切に行うことができない事態が生じ得ない」関係もあることを認めた。さらに原判決は,「しかし,なるほど離婚後の父母に任意の協力関係が望める場合があり得,」と判示した(34頁)。
しかし,そうであれば,離婚に際して親の一方の親権を一律に全面的に剥奪する民法819条2項(本件規定)に合理性が認められないことは明白である。
原判決が,「立法目的が前提とした元夫婦像にそのまま当てはまらない元夫婦も実際には相当数存在し得ると考えられるから,離婚をする夫婦にいわゆる共同親権を選択することができることとすることが立法政策としてあり得るところと解され,認定事実(2)のとおり,それを含めた検討が始められている様子もうかがわれる。」と判示したり(32頁),「しかし,なるほど離婚後の父母に任意の協力関係が望める場合があり得,」と判示するなどした(34頁)その立場を前提とすると,①原則として離婚後は共同親権であり,②例外的に,原判決が「離婚後の父母が,情報伝達手段を用いて頻繁に連絡を取り,子の利益のために相談をし,適切な決定をすることができるような協力関係にないことも想定され,他方の同意が得られないことにより子の監護及び教育に関する重大事項の決定を適時に適切に行うことができない事態が生じ得ることは否定できない。」と判示したような事態が生じる場合には(33頁),民法には,親権喪失の審判制度(民法834条),親権停止の審判制度(民法8